私たちの価値観はどのように形成されていくのだろうか?

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人間はこの世に生まれ出でてから、自分の外の存在(人・出来事・作品など)に触れることで、自分だけの価値観・美意識・信念を形成していきます。

個人的な感覚としては、経験して蓄積した要素が、かけ算のようにかけ合わさって、ひとつの価値観を形成していると考えています。

例えば…

受験勉強×恋人や悪友との出会い×両親の離婚×生死をさまよった体験×大学での講義×忘れられない映画×etc…

というように、大きいイベントから小さいイベントまで、自分が経験したイベントの蓄積とそれらの化学反応によって自分の価値観等が形成されると認識しています。

義務教育を受けている段階では、各人の価値観に大きな違いをもたらすものは少ない。強いて挙げるとするなら、家庭環境ぐらいでしょうか。

各人の価値観が大きく揺れ動くのは、義務教育(もしくは学校というシステム)から解放された後でしょう。

ところで、このように様々な要素がかけ合わさった末にできる価値観や美意識といったものは、現代を生き抜くうえで、以下のうちどちらにシフトした方が都合がいいでしょうか?

  1. 周囲の人間・環境に適応した、一般的な価値基準
  2. 一般的な価値基準から離れた、特殊な価値基準

先に言ってしまうと、私の中での結論は「どちらの価値基準も必要」です。

今回は、これら2つの価値基準を行使するタイミングについて、個人的な見解から考察してみました。

一般的な価値基準は人とのコミュニケーションにおいて必要

一般的な価値基準、いわゆる“常識”といわれるフレームワークは、あらゆる人とコミュニケーションをはかるうえでほとんど必須であると僕は思っています。

会話の中にいる2人の価値観のベース(≒共通の話題)がなければ、コミュニケーションの広がりを期待できないからです。

また、人は新たに主張を生み落とすとき、一般論を前提にします。

「一般的にはこう言われているけど、僕はこう思うな」という具合に、一般論と比較することで、自分の主張を相手に理解してもらいやすくなるからです。

話し相手が自分と同じ価値基準を共有している場合であっても、またはそうでなくても、「一般的に思われている常識」はある程度知っておくと便利です。

特殊な価値基準は新たな価値を創造するうえで必要

非常に抽象的な書き方ですが、一般的な世間の考え方から離れた自分だけの特別な価値観は、他者に新たな価値をもたらすことがあります。

お笑い芸人である千原ジュニアさんが15歳のとき、引きこもりだったエピソードは有名ですが、ジュニアさんは『これにて、便所は宇宙である』のあとがきで、自分が引きこもっていたことを以下のように捉えています。

これだって変な話ですが、吉本に入れてもらうために引きこもっていたのかもしれません。というのも、僕が引きこもっているのをみかねたせいじが、僕を吉本に誘ってくれたからです。もし嫌々でも僕が学校に通っていたら、せいじは吉本に誘っていなかったでしょう。

千原ジュニア『これにて、便所は宇宙である』

一般的な考え方からすれば、「なにを言ってるんだ、ただの偶然に決まっているだろ」とツッコミをいれたくなるところかもしれませんが、この捉え方は本を読んだ当時の私にとってかなり新鮮でした。「こんな捉え方もできるのか」と。

つまり、何が言いたいのかというと、一般的な捉え方から乖離した考え方・解釈の仕方は、ほかの人間にとってみれば珍しく、新鮮に映ることもあるということです。

ダイアモンドよろしく、珍しいものには価値が発生します。

その点で、ジュニアさんはとても分かりやすいケースだと思います。一般的な考え方とは違う、斜めから世界を解釈する姿勢。「なんでそんな考え方になるん?」と思わせる切り口で笑いを生み出し、お客さんはそこにお金を払う。

確かに、世界を穿った見方で捉える姿勢は、一般的な場合にくらべて、他人と衝突する確率を増やしてしまうかもしれません。

しかし、その見方は、公開することで必ず誰かの役に立つ。

新たなアイデアの発想を手伝ってくれるかもしれないし、悩みを和らげてくれるかもしれない。もしくは、人を幸せに導くこともあるかもしれない。

このような役割を担っているのが、いわゆる情報発信なのだと私は認識しています。

自分だけのアイデアを露出しないなんてもったいない

一般的な価値観と、自分の中だけに存在する価値観。

私もあなたも、普段は後者を通して世界を見ていると思いますが、これらを完全に同化してしまうのはもったいないと思うのです。

つまり、自分のアイデンティティを放棄して、他人に身をゆだねてしまうことがです。

先ほどの項で書いたように、自分のだけ中に存在する価値観=自分の意見は、どこかの誰かによって価値付けがなされることがあります。

しかし、自分のアイデアを露出しなければ、その可能性はゼロになる。

無意識のうちに、自分で自分を殺していないか?批判されることを恐れて、意見をさらす機会を逃していないか?

今一度自分に問い直す必要性を感じて、この記事を書きました。

Thanks for your time.